はんなり学生編集部

高校2年の記事

「〜してあげる」について考えてあげた

この世にはおかしいなーって思っても残り続けているものがあると思うんですよね。

 

嫌いな食べ物を人にあげるとき

 

「これあげるよ。」

 

って言う人いますよね。

これは言われた相手が食べたいと思っている場合には何の問題も発生しないんですが、これが言われた相手が全く食べたくない場合。このときは疑問に思うんですね。

 

 

いや、「食べてください」だろ? 嫌いなものを食べてほしいというのに「お互いにメリットだね!ほら、うれしいでしょ?ウィンウィンでしょ?」みたいに存在しないもらう側のメリットを作り上げて自分の得を見事に隠す言い方。このしてあげてる感がとてもいやなんです。

 

 

少しだけ本質が違うのですが、僕の友達にも何をするにも「~してやるよっ」なんていう人がいます。

たとえば部活中に僕が部活道具両手いっぱいにもってて一つ落とした時に「しゃーねーな、持ってやるよっ」なんていうのです。そういうのって「してあげる」という感覚でするものじゃなく「感覚的に手伝ってあげるべきだ」って気づくものだと思っているから「なんでだろ、その一言なしに動けないのかな」って不思議に思うんです。「してやってる」と言ってるにもかかわらず相手のためより自分のために行動してる感じが恩着せがましくてしっくりこない。その一言がなければ素直にありがとうってなるのに。

 

言葉の選び方にもよるけどあまりにも的外れなことだとおかしいよって思います。

でもこれはその人が悪いと言ってるわけじゃなくて要するに気が利くか気が利かないかの差だと思うんです。どれほど他人のためにできるかっていう意識。気が利くかどうかっていうのは小さいころからの生き方によって備わる「感覚」なので気が利かない人はこれからも気が利かない人であり続ける気がする。

 

本質がすこし違うっていうのは、嫌いな食べ物の話は的外れな「してあげる」こと、部活の友達の話については気が利かない「してあげる」ってこと。

 

そういう人には「させてやってる」って広い目で見るのもいいのかなあっておもうんです(笑)

 

 

これっていつまでも残り続けると思うんです。なにしろそんなに大きい問題じゃないしこの問題にどう思うかは人によるから。僕自身も少し気に食わないと思うくらいで。

 これ考えて自分も言葉には気をつけなきゃなーって思います。

 

 

 

え?タイトル?

 

 

 

あ、「してあげる」使ってる…

 

 

 

 

わざとです笑 笑ってやってください。

 

とにかく、「してあげる」は苦手です!

 

ではまた。